まつだ の ノート

ゆたかにいきる

教養を学ぶ意義を考える。

知識を覚えるだけじゃ意味がない。

 先月から、スタディサプリなどで高校時代の学び直しをしている。

matsantique.hatenablog.com

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 で、改めて高校時代の勉強をやりなおす目的を考えてみた。考えた結論としては、「知識をただ覚えるということ」を目的とすべきじゃないということだ。変化の激しいの時代にあって、どうしたら生き残れる人材になるのかを考えたときに「考える力」に行き着くと思う。学び直しの目的は、「考える力」のレベルアップを図るためであるべきだ。

 変化が激しいと、ちょっと前まではある専門知識が身につけていれば十分だとみなされていたものが、すぐに陳腐化するということが日常茶飯事になるだろう。陳腐化する知識・スキルではなく、陳腐化しない知識・スキルを如何に身につけるか?ということを考えたときに、高校時代の勉強がベーシックになるのだということを提案してみたい。ベーシックな知識が備わっていないと、考えることができない。「ベーシックな知識」のイメージとしては・・・レゴのブロックとか、マインクラフトの素材とかに言い換えると想像しやすいかもしれない。

 考えるとはすなわち、知識を活用するってことに言い換えられると思う。知識の活用を前提にベーシックな知識のインプットになっていなければ、雑学王でしかない。あれこれ知っていることと、考えることは違う。考えることができて初めて変化に対応できるし、困難に対処できる。

困難への対処法を複数に持つために

 考えることができるようになれば、前代未聞の問題に対して、対処することができるようになる。たとえば、「歴史」から過去類似例を集めて対処方法を考えてみるだとか、「数学」の知識から定量的な判断軸を設けて対処方法を考えてみるだとか、困難への対処方法を複数持つことができるようになると思う。

 困難に直面するからこそ、人は発想力を試される面があると思う。変化の激しい時代は大変なイメージがあるのかもしれないが、知的な面白さに満ちた時代に突入しているとも言い換えられる。人それぞれ置かれた立場も違えば、状況も違う。なので、自分にバシッと合うような答えなんて世の中に存在しない。考えて答えを自分で導き出すのだ。これを不安ととらえるか、自分で考えることができるので楽しいととらえるのか。私は後者だ。昭和時代なんて思考停止して同じようなことをやるだけで「人生を全うできた」のかもしれないが、「退屈に人生を終えて」しまっただけとも言える気もする。

心の持ちようとか気持ちに余裕を持つために

 考えることができるようになり発想力が豊かになることで、精神面でメリットがあるように思う。困難に直面したとしても、対処法を発想豊かに思いつくことができるのであれば、まず、精神的にゆとりを持つことができる。困難へ対処する中でたとえ辛いと感じることがあったとしても、最終的には困難を克服するだろうし、困難を克服するとなれば、精神的な強さを手にすることができるわけだし、精神的に好循環を期待することができる。

 逆に発想力が乏しく、困難に直面したときになにも思いつかない思考停止状態に陥りあきらめてしまうことになってしまうと、せっかく生を受けたのに人生とは悲惨なもんだと思って人生を終えてしまう・・・